明石駅
明石駅(JRも山陽電車もそんなに変わらない)を北に出ると、こんもりとした森の手前にお堀がある。お堀と言うからには誰かが掘ったものだろうが、私は知らない。白鳥やその他の鳥が泳いでいる。時々、白鳥を取ろうとする輩がいるが、大抵は警察のお世話になっているので、取ってはならない。
明石城跡を中心に明石トーカロ球場や陸上競技場、剛の池を有する広大な公園である。明石城は天守閣がなく坤櫓を天守閣の代用としていた。芝生やベンチはそこら中にあるので、好きなだけ休むことができる。とりあえず櫓まで登ってみよう。私が高校の時自転車を担いで登っていた場所である。誰でも簡単に登ることができるかも知れない。小笠原忠真が建てたが、天守閣は建てられなかった。明石の町割りは宮本武
蔵が行ったと言われてる。明石城の前は船上城があったが、ここはキリシタン大名の高山右近で有名である
以下、明石のパンフレットによる。
明石市立文化博物館
常設展では「人々のくらしと自然環境」をコンセプトに、明石の持つ歴史上の特色ある出来事や果たして来た役割を8テーマにまとめて紹介している。また、体験学習室では、火おこしや銅鐸などで弥生時代の暮らしの体験ができる。また、この付近は、きれいで大きな家が多いので雰囲気を楽しんで歩こう。覗いたりしてはいけない。
上の丸弥生公園

明石神社

大聖寺

うぐいす谷
天明時代にはこのあたりの谷は「うぐいす谷」と呼ばれていた。当時大名の間でうずらを飼うことが流行っていたためだが、12代明石城主松平直之がうずらの中に紛れ込んでいた美しい声で鳴くうぐいすを気に入り、飼育していたからであると伝えられている。
上ノ丸教会

本松寺
元禄4年に明石藩家老斉藤甚左衛門が中心となって、船上にあった本正寺をこの地に移してきたと言われている。貞享3年の明石城主松平直明の黒印状には「本松寺」とあるため、この頃名前も変わったと考えられている。
また、このお寺には、宮本武蔵が作庭したと言われる枯山水の庭がある。宮本武蔵は初代明石城主小笠原忠真のもとで城下の町割りを担当しており、善楽寺の円珠院にも武蔵作の庭園が残る。本松寺の庭は、大小の築山、大滝・小滝、瓢箪型の池、亀島などを配置し、見る角度によって印象が変わるように工夫されたまとまりのよい庭園になっている。
妙見社
「谷の妙見さん」と呼ばれ、ツツジの名所として有名。本松寺が船上から移転されてきたときに、石田三成の家臣の島左近の守本尊であった妙見大菩薩玄武像が寄進されたのが妙見社の始まりとされている。拝殿から階段を上ると本宮がある。
またこの宮には「ぼたん狐」の民話が残されている。江戸時代の中頃、ぼたん模様の着物を着た美女に化けた狐が人に悪さをするようになった。明石藩にいた剣術の達人・片山徳左衛門も見事にたぶらかされたと言われている。
亀の水
明石の湧き水として有名な「亀の水」は亀の口から流れ出ている。ポリタンクをかかえた人などが並んでることがある。亀の水
元禄12年(1699)、月照寺の表参道が造られたとき以来、絶え間なく沸き続けている。柿本神社境内にある亀の碑からその名が付けられたといわれている。この水は播磨三名水・播磨十水のひとつで、長寿の水とも呼ばれている。
月照寺
人丸山上の月照寺は、元和4年に明石城築城に伴って、柿本神社とともにこの地に移ってきた。柿本神社の別当として歌人だけでなく朝廷からも崇敬を受け、寺内に国の重要文化財に指定されている「桜町天皇宸筆と一座短籍」や明石市の指定文化財である「船乗十一面観世音菩薩像」、「三十六歌仙と和歌式紙」などがある。境内には人丸観世音菩薩像が安置されている。また、柿本人麻呂の和歌「明石大門」の歌碑がある。「ともし火の明石大門に入らむ日か漕ぎ別れなむ家のあたり見ず」
これは大和から明石海峡を西へ下っていくときの歌で、振り返っても都も家族の家も見えない、という不安さと寂しさが入り混じった人麻呂の心中が偲ばれる。
境内にはこのほか、一つの花に八つの実を結ぶという珍しい八房の梅がある。
月照寺の重厚な山門は豊臣秀吉が伏見城の薬医門として建てたのが始まりで、明石城の切手門を経て、明治16年にここに移築された。明石の指定文化財になっている。
柿本神社
地元では「人丸さん」として親しまれている柿本神社は、歌仙・柿本人麻呂を祭神としている。学問・文学の神様として崇敬されているだけでなく、「人麻呂」の名から「ヒトマル」→「火止まる」で火除け、「人生る」で安産の神としても信仰されている。
仁和3年に月照寺の僧・覚証が、人麻呂の霊が明石に留まっていることを感得し、月照寺の裏に祠を建てて祀ったのが始まりと言われている。その後、明石城築城に伴って月照寺とともに現在地に移された。享保8年には正一位柿本大明神の神位神号がおくられた。
柿本人麻呂は、大和⇔任地の西国を何度も往来したとされ、明石大門(明石海峡)の和歌も残されている。境内に、”播州明石浦柿本太夫祠堂碑”があります。台座に亀(正しくは「ひきい」という龍の子どもで、耳があります)、碑面には双龍が施されており、通称「亀の碑」と呼ばれるこの碑は、寛文4年に明石城主松平信之によって建てられた、1712文字よりなる人麻呂伝記となっている。この碑文を誤らず読み上げると、台座の亀が動き出すと伝えられている。半分だけ読んでも亀の頭が動くかも知れないのでやってみよう。
その他にも、盲杖桜やお筆柿などの伝説にも包まれ、人丸の丘から明石のまちと海を見守っている。
人丸山公園

天文博物館
子午線上のモニュメントであり、「時のまち・明石」のシンボルである天文科学館。昭和35年6月10日の時の記念日に開館して以来、青い文字盤の大ネオン時計が日本標準時を刻んでいます。館内には旧東ドイツのカール・ツアイス・イエナ社製の大型プラネタリウムがあり、輸入価格は41000ポンド(約860万円)。現在活躍しているものとしては、最も古く歴史的価値が高いプラネタリウムである。また、人間日時計や40cm反射望遠鏡があり、天体や宇宙に関する展示物を見ることが出来る。最上階の展望室は360度のパノラマビューである。人丸前駅
明石駅の一つ東の駅。15分ごとに普通電車がやってくる。ホームからは眺めが良い。明石で花火大会が行われていた頃は、ここから花火を見ていたが、花火大会は中止されたままである。
時のわらし
明石のローカルキャラクターである。長年住んでいる人でも知らない人がいる。私も見たことがない。これで明石の宣伝になっているのかどうか甚だ疑問なキャラクターである。もっと表に出てきて欲しい。明石の名物
明石鯛
昔から明石の鯛は美味しいと評判で、瀬戸内明石海峡は魚の餌となるプランクトンやイカナゴ・エビ・カニなどが多く集まり、絶好の餌場となっています。潮の流れが早く、回遊しているなかで、良く身が締まり美味しい鯛になります。お正月や結婚式など祝い事には、鯛の姿焼きは欠かせません。生姜醤油で食べるのが一番美味しく、残った身は鯛飯に、骨は汁のダシになります。
明石ダコ
干しダコが風に揺られている様子は、明石の風物詩でもあり、何ともユーモラスな風情のある浜の風景です。干しダコを戻して、醤油や酒を入れて炊き込んだ、タコ飯は自慢の郷土食です。
アナゴ
明石海峡で捕れる三大名産物といえば、鯛・タコ・アナゴ・です。明石海峡の海で漁獲した、捕れたてのアナゴを、自慢のタレで焼きあげたアナゴの旨さは、身が引き締まった、脂ののった濃厚な味は、新鮮な地魚のみが味わえる絶品です。
イカナゴ釘煮
イカナゴ釘煮は、春を呼ぶ魚のいかなごの佃煮です。いかなごはまず鮮度が大切で、鮮度が落ちると味も落ちてしまい、鮮度保持が大切です。一釜一釜炊く温度加減や火加減をが難しく、経験と感が重要で最高の逸品が出来上がります。
明石のりは、昭和29年ころから生産がはじまりましたが、現在は日本全国の、のりの消費量、1人当り20枚の約1枚は、明石産ののりまでに発展した産地になりました。
玉子焼
全国的には「明石焼」で通っているタコ焼きに似た食べ物。生地の繋ぎを玉子で作るため柔らかく味わい深い。ダシにつけて食べるが、別にソースをつけても構わない。B級グルメのチャンピオン格である。
明石名菓
朝霧堂 八つ房の梅
干し海老、青海苔、黒豆、白と4種類の味が揃ったうる餅は冬場の人気商品です。100%国産餅米に正米の入った歯ごたえ良し、味良しのお奨め品です。
藤江屋分大 めで鯛もなか
江戸末期1818年の創業の明石の老舗「分大」190年の歴史を刻む店の佇い。丁稚羊羹や分大餅は全国的に有名その中でも明石の風物に因み、5代目亀吉が考案した鯛もなか。たっぷりのこし餡が見える事から笑いもなかとも呼ばれ「ハレの日」に最適のおめでたいお菓子です。
大栄堂本舗 明石物語
恵み豊かな漁場でもある明石海峡は、潮流が激しいことで知られています。うず潮に見立てて作られた”明石物語”は、こし餡をさらしてそぼろ状にした「村雨」という生地で、つぶ餡を巻き込んだお菓子で、切り口がかわいらしい!
富士せんべい いいだこ姿焼
いいだこの子だこが、姿形そのままに、ユニークなおせんべいになりました。豊かなたこの風味が格別で、お酒と一緒にいただいても。
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