2017年5月20日土曜日

阪神淡路大震災のバスケ事情

私は阪神淡路大震災の頃はまだ現役でプレーしていました。だんだんと思うようにできなくなって来たのは分かっていましたが、それでも好きでやってました。そこに地震がやってきました。私のチームは中学校の体育館を週に1回借りて練習していたのですが、運よく学校も体育館も被害はなく、地震直後も体育館で練習できました。


その年の春先4月ぐらいに県大会があり、私のチームは思いがけず良い成績を収めました。その時の相手と更衣室で一緒になったので話をしていたところ、
「バスケットをやりたいんだが、できない」
と言い出しました。彼によると、体育館を被災者が使っているので練習できないとのこと。負けた悔しまぎれに言っているようには見えないので、もう少し話をしてみると、練習場所がないのでチームも解散するかも知れないと言います。さすがに何とかしてやりたい気持ちになったので、
「ちょっと遠いけどうちのチームの練習に来るか?」
と誘ってみました。彼は、
「みんなで行っていいんですか?」
とちょっと意外な様子。
「他のチームも来ていい」
とも言いました。

実は私はこのチームで偉そうな顔をしていましたが、キャプテンでも何でもなく、決定権さえないんです。キャプテンが、
「そんなに誘って大丈夫ですか?」
と訊くので、
「お前は絶対に損はしないから」
と言って納得させました。
それからしばらくは賑やかな練習が続きました。
好きでバスケットをやりたい人を見捨てることはできませんよ。それから、うちのキャプテンは兵庫県内で結構有名になり、飲み友達もたくさん増えたとのことです。私はいまだに彼らと道ですれ違うと、大きな声であいさつしてもらえます。

よく「勝ち負けが全てではない」といいますが、勝ち負けは確実な実力の指標です。「勝ち負けが全てではない」という場合は、多分に悔しまぎれの言い訳に聞こえることもありますが、勝ち負けよりも価値のあるものとはこういうことか、と思いました。
「うちのチームに練習に来るか?」
と言った言葉は、後輩のキャプテンとバスケットをやりたいができなかった彼らを、少し変えることになったのなら嬉しいですね。

わたしはこれ以降、「勝つのがそんなに大事ですか?」の問いには、「大事です。勝つより大事なことはあるが、あなた方には無理です」と答えるようになりました。自分たちのことしか見えない人には、戦ってくれる相手のことまでは見えないですから。




0 件のコメント:

コメントを投稿

一括査定