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2017年4月26日水曜日

某牛丼屋の紅しょうがとビール

大学の頃は、アルコールが好きでした。仲間4人で牛丼一筋何十年という某牛丼屋に入り、牛皿を注文してあとはビール15本とかの注文をしていました。牛皿に紅ショウガを入れて、紅ショウガをつまみながらひたすら飲む。飲む。飲む。結局、一人10本ぐらいを飲む。体育会系はビールに強いのです!

牛皿と紅ショウガとビール

某牛丼屋は飲み屋で飲むより安いのです。おつまみとかがなく、明朗会計であるからです。ビール以外にほとんど注文できずに飲みまくるので、もしかしたら牛丼屋には嫌がられていたのかも知れません。

いつも駅の近くの某牛丼屋で飲んでいたのだが、やがて、某牛丼屋に「ビール一人3本まで」の張り紙が出た。とうとう出たという感じであるが、別に私たちのせいではない。

私たちはそんな張り紙を気にすることもなかった。いつもの仲間4人で行って、「ビール12本」を注文して飲んだ。とりあえずビールを一人3本ずつ飲んでから次の店に行くことにした。

それを数回やると、とうとう、「ビール一人1本まで」となってしまった。それ以降、この牛丼屋に行ったことはなかった。

数年前にその店の前を通る機会があったが、コンビニになっていた。

2017年4月23日日曜日

石神井公園とみそ汁

大学の頃(昭和50年代前半)のことである。私を含めた我々3人は、その日ちょっとした気まぐれで、石神井の友人の家へ遊びに行った。みんなでどこかへ遊びに行こうと誰かが言いだした。どこかに遊べるような公園はないのかと尋ねたところ、近くに石神井公園と言う結構大きい公園があるという。われわれは、ぞろぞろと石神井公園へ向かったが、あまり近くではなかった。

石神井公園では何が楽しいのか訊いたところ、ボートがいいという。我々4人はボートに乗ったのが間違いだった。4人の内2人はスポーツをしていないので貧弱であった。私はバスケット部で石神井公園に住んでいた友人は空手部だったので、主に2人でボートを漕いでいたが、若い連中である、どのくらいスピードが出るのかと言いだした。空手家はスピードはすごいが方向感覚が無茶苦茶で最後にアベックのボートにぶつけてしまった。バスケット部の私はまっすぐにしか進まず、しかも空手家より速いスピードだったが、最後に浅瀬に乗り上げてひっくり返った。ボート屋のおっさんにおこられた。「ボートにのるな!」

我々は友人の下宿まで帰ってきた。何でもバスケット部はものすごく速かったが、水しぶきも半端ではなかったらしい。みんなはずぶ濡れだったが、幸運なことに、私は足しか濡れていなかった。
とりあえずズボンや服を洗ったが、着替えがないので銭湯にも行けずそのまま寝た。
翌朝、私が目覚めたのが6時頃だった。私のズボンは何とか乾いていた。ズボンをはくと、料理を作ろうとしたが、いくら探しても米と味噌と卵1個しか見つからない。何も作れんなと思ったが、とりあえず米は炊いておくことにして、みそ汁の具を捜しに石神井の農村地帯に、出かけた。

大根でもあればよかったのだが人参しかなかった。車の通りも多かったが、2本ほど細い人参を抜いて持って帰った。人参のみそ汁を作ったがあまりおいしくない。原因は分かっている。だしを取らなかったからだが、だしにするものがなかったからでもある。卵はといて入れたのだが量が少なく、よく見れば入っているというものだった。人参もこういう状況なので、皮はむいたが柔らかくなるまでには、火が通っていなかった。それでもあまり文句を言わずに食べていた。私は不味かったのであまり食べなかった。


2017年4月10日月曜日

遥かな尾瀬 遠い空

40年程前のこと、尾瀬に行きました。すでにかなり有名になっていましたが、アプローチが悪く、まだ観光客が少なかった頃です。今なら、沼山峠か鳩待峠から1時間ほどで行けますが、当時は鳩待峠はタクシーでしか行かなかったし、沼山峠に至っては東京から丸一日かかる遠さでした。

私は6月の第2土曜日に、弟とバスケットの後輩との3人で車で出かけました。この時期が水芭蕉が一番きれいと聞いたからですが、雨が降る確率も高いのでどうかな?と思っていました。幸いにも尾瀬にいる間は快晴でよかったです。まず、大清水から三平峠を経て尾瀬沼まで歩きました。三平峠まではだらだらした登りが続きましたが、普段から奥多摩で鍛えていた私は、それほど疲れたわけではありませんでした。尾瀬沼の周りには水芭蕉が生えていました。弟と後輩は写真を一生懸命撮っていました。

尾瀬沼の南側を抜けて、沼尻からナデッ窪を通って燧ケ岳山頂に出ましたが、燧ケ岳の登山道は全て雪渓に隠れて判らず、時間がかかった上に体力を消耗しました。私たちのホームグラウンドの六甲山には雪渓がないからです。後輩などは及び腰でびびっていました。燧ケ岳山頂で1時間ほど昼寝して、温泉小屋へ降りましたが、これがまた悪路。温泉小屋には予定よりかなり遅くついたので、三条の滝を見に行けませんでした。その日は見晴でテントを張り、翌日は尾瀬ヶ原をちょいと見て、尾瀬沼に向かいました。段小屋坂という名前があるが、全然大したことはなく、沼尻からまた尾瀬沼の南側を通って、三平峠から大清水へと降りました。2日目は日曜日だったから大勢の人が登ってきていましたが、今の観光客に比べればわずかなものなのでしょう。

 ニッコウキスゲが咲く夏場の尾瀬もいいようで、今度はニッコウキスゲを見に行こうと思いながら、40年が経ったが、未だに行けません。生きている内に行こうと思いながら60歳になってしまいましたが。


今は、尾瀬のツアーも結構あります。そろそろ予定を立てる時期に来ていますね。
東京からツアーもあります。もうすぐ募集が始まります。尾瀬は人気があります。


その他のツアーも数多く用意しています。詳しくは下記をクリックして下さい。

2017年4月7日金曜日

とある昔のゴールデンウイーク

昔、大学を出た頃、ゴールデンウイークに信州へ行ったことがあります。その年は雪が多い年で、信州では標高の高い峠道などは通行禁止になっていました。我々は、中央道を中津川で降りて馬篭を目指しました。島崎藤村の記念館に入りましたが、夜通し運転していたので何がどうなっているのか分かりませんでした。連れて行った後輩が「金色夜叉」を「きんいろやまた」と読んだことしか覚えていません。

次はうとうとしながら上高地を目指しましたが、上高地入口の釜トンネルが大渋滞でしたので、中の湯の露天風呂に入りました。谷の向こう側は国道で自動車が並んでいるのに、素っ裸で手を振りました。安房峠を超えて飛騨高山へ行こうとしたところ、峠が雪のため通行止めでした。隣の野麦峠も通行止めでした。木曽福島からなら飛騨高山に行けるとのことでしたので、そちらから回りました。峠らしい峠もなく、うとうとしながら飛騨高山についたのが午前1時ころで、宿泊の予約もしてなかったので、とりあえず車を飛騨高山駅前に駐車して、寝ました。もちろん違法駐車ですが誰も何も言わなかったので、これで良かったのかと思いました。

朝は人の視線で目覚めました。通勤の人が邪魔という顔をして通り過ぎて行きます。「これはまずい」と思ったので、車はそのままにして宮川沿いの朝市に行きました。量が多くて安いのですが、同じものでも店によって少しずつ違うようで、私も土産物を値切ってみたら安くなりました。車に戻ると警官がじっと見ていたので、すぐに出発しました。飛騨高山から少し南へ移動して下呂温泉に行きました。旅館に泊まりたくなった(身体が痛くなってきた)ので観光協会で聞いてみると、ちょうど1件だけ民宿が開いていましたのでそこに泊まることにして、爬虫類園に行きました。変な生きものがにょろにょろしていました。ワニやカメもいましたが、変な生きものもにょろにょろしていました。変な物を見た後で河原にある露天風呂へ行きました。結構混んでいて、変な物がにょろにょろ、ぶらぶらしていました。特におじいさんのはしなびていました。民宿に帰りました。すぐに眠れたというより半分眠っている状態でした。すぐに起こされました。隣の部屋の子供のガキがうるさくて、目を覚ましてしまいました。旅行で子供のテンションも最高潮だったのでしょう。そう言えばこの日の夕食と翌日の朝食はどうしたんだっけ?

翌日は帰るだけだったのですが、お城に行きたいという希望があったので、犬山城に行きました。案の定混んでいましたが、入ることだけはできました。どんな城だったのか全く覚えておりません。お城に行ったおかげで名神高速は大渋滞でした。帰ったのは真夜中で、「あんた、しばらく顔を見んかったが、出張やったんか」とばあさん(祖母)に言われました。出張の多い仕事だったのです。飛騨高山で買った土産を渡して、「ここに行ってきた」と言いましたが、遊びに行ったとは言えませんでした。

2017年4月4日火曜日

神田川はどこから流れて来る?

大学の頃の話なので、今から何十年も前になるんでしょう。

私の下宿は都電の「面影橋」の近くにあったのですが、今は下宿なんてないのかな?
とにかく、下宿に風呂はありません。炊事場もトイレも共同です。トイレに窓があって何度友人に覗かれたことかわかりません。窓から「元気?出てる?」なんて言うんです。
炊事場のシンクっていうのかな?流し台のことですが、金がなくてシンクに入って身体を洗っているバカがいたな。私はそんなことはしませんが。
炊事場が共同だから料理を作ると臭いで下宿中にわかります。食事をしようとしたら大勢が部屋で待っているんです。もちろん一人分しか作ってないからまた作りに行きます。
戻ってくると、当然、さっき作った食事が見事になくなっています。といった具合にみんなが満足するまで作り続けることになるのです。

さて、面影橋の電停の向こう側、幹線道路を1本隔てたところに神田川が流れていました。
あるとき誰かが「神田川ってどこから流れて来るのかな」と言い出しました。とりあえず確かめてみようと4~5人で川へ降りました。高さは3mほどしかないのでポンと飛び降りました。川幅のほとんどは舗道(道じゃない)で、水は真ん中をちょろちょろ流れているだけでした。
もっとも神田川が轟々と流れているのを見たのは1度しかありません。台風の後です。

神田川沿いはなぜか臭かったが、割に歩きやすい道?でした。
歩き始めて小一時間ほど経った頃、誰かがもうあきたから帰ろうと言い出しました。景色も変わらんしつまらなくなっていたので、みんなもそうしようとなりました。舗道から岸の壁を登って・・・壁の上に手が届かないのです。3mもないと思うのに登れません。そこで、幹線道路の下ならどうにかなるかも知れないと誰かが言いました。どうにもならないのです。

結局3kmぐらいかな?そのまま遡ったところで、川に下水が流れ込んでいたので、それを足掛かりにして無事陸上に戻ることができました。私たちはその日の疲れを癒すために酒を飲むのでした。
後で調べたら井之頭公園が水源でした。ちょっと調べればわかることでした。

大学の授業は思い出せないが、変な話は思い出ます。
今の学生にとって、異次元の世界なのか?バカバカしい戯言なのか?羨ましい自由なのか?わかりませんが、私には懐かしい思い出です。

2017年3月28日火曜日

やってはいけない大学受験方法

高校も3年生に入るといよいよ4当5落と言われる大学受験が始まります。始まるはずなんですが、のんびりしたものです。もちろん家に帰れば勉強しているのでしょうが、学校ではそその片鱗も見せない。当時はよく、受験になれば友達でもライバルなんて言われていましたが、「君が落ちたから、私が通るわけじゃない」と言っていましたね。確かに友達と戦っているわけではないですね。お互いにそんなところはよく知っていますから、分からないところは教え合ったりもしましたよ。

私が少し勉強し出したのは夏休みからですが、頑張って勉強したのは正月が明けてからだったと思います。確か正月は山登りをしていたような覚えがあります。夏休みは親が予備校の夏期講習を申し込んでしまったので、仕方なく勉強していました。もちろんサボって三ノ宮へ遊びに行ってたこともあります。正月を過ぎてからは1日8時間以上の勉強と8時間以上の睡眠を心がけました。学校は二の次です。とにかく授業に顔を出しても受験科目の勉強をしているような状態です。

4当5落はやらない。5時間しか眠らないなら頭が働かないと思っていました。周りは落ちると思っていたんでしょうね。両親もそう思ってたみたいで勉強しろとうるさいこと。自分の不安を受験生にぶつける親は厄介です。親が厄介だったのはそれだけではないのですが、それはまた後日。

受験は合否を決めるだけのもので、実力とは関係ないと思っていました。戦術さえうまく取れれば実力以上のところでも通ると思ってましたので。親は「落ちたらどうする」という。受験生に「落ちる」というのは禁句だろうと思いながら、「落ちたら、浪人して医学部に行く」と言ってました。

以下戦術です。今の受験制度ならまねをすれば確実に落ちます。
・私の成績は、英語452番・国語350番・数学3番・地理2番・地学1番ぐらいです。
・数学、地理、地学は模擬試験でも全国順位に入っていましたので問題ないが、後の2科目が悲惨ですね。そこで、偏差値は一切考えずに、過去の最低合格点数に達するかどうかで、合否ラインを作り変えました。
・どこの大学でも英語は必ずあるので、他の科目で合格点をとることを考えました。
・国立の教育学部なら、この5科目100点ずつで500点満点。合格ラインは280点以下。これを4科目で取りに行く。
・私立理系なら、英数理(地学)の受験科目で100点ずつのところを探す。300点満点で180点を2科目で取る。
ざっとこのような計画を作りまして、一応国立志望として4科目で合格ラインに入るには、
・数社理は平均8割なら多分可能。但し9割は相性が合わない限りはかなり苦しい。これが国立志望の理由です。
・数社理で240点はなんとかなる。ここで考えましたね。国で30点はまあどうにかなる。英は苦手といっても10点ぐらいはとれるだろう。しかし、もう20点ほど上回っておきたい。
・英語はつまらないので週に1日ぐらいにして、数学と理科を9割以上できるようにする。
・国社は現状維持か飽きてきた時にやる。
さて、この条件のかなうところで、国立1期はT大(偏差値50ぐらい)、2期はO大(偏差値55ぐらい)、私学はW大(偏差値72ぐらい)を受験することにしました。国立2校のダブルストッパーみたいなものです。
不思議なもので、このやりかたで、TとWは合格し、Oは受けなかったので不戦敗。私は家からも通えるしOも自信はあったのですが、親が受けさせてくれなかったのです。
今の受験体制では、全科目が平均的にできた方が有利と伺いますので、こんなやり方は通用しませんが、今、私が受験生なら一生懸命自分の特徴を生かした戦術を考えると思います。受験生の方々、頑張ってどうにかなる人はともかく、頑張ってもどうにもならないと思っても諦めずに、自分の特徴を生かせる戦術を考えましょう。自分を知り、相手(志望大学)を知れば、打開策があるかも知れませんよ。


2017年1月18日水曜日

はるか昔の自転車の大きなお世話な警察官

それは、はるか昔のことです。
私はその頃は、大学の休みには近所の中学校のバスケットボールのコーチをしていました。(「の」が多いな)

その日は、頭から湯気が立って道路が歪んで見えるほど暑い夏の昼頃のことです。
とにかく、私はコーチなので、練習に行かねばならない、中7学校へと続くアスファルト道路をのろのろと自転車で進んでいたのでした。

道も中程へ差し掛かった煙草屋のあたりで、私はひとりの男と出会いました。男は暑苦しい格好をしてこちらを見ていました。別に知り合いでもなかったので、私は通り過ぎようとしましたが、男は生意気にも私を呼び止めて、いきなり言いました。
「その自転車はお前のんか」
失礼な言葉です。大きなお世話です。おまけに人を見下したような態度。

「そうや」と答えてみたところ、
「今、自転車泥棒があったんや。汚い自転車やから、盗んだものかどうか確かめとったんや」
とほざいたのです。

元々がうちの裏に捨ててあった自転車です。汚いのは当たり前。大きなお世話です。
「だいたい、汚い自転車など盗むわけがないと分からんのか、アホ」
と思いましたが口に出したわけではなかったと思います。

そんなこんなで、住所氏名を聞かれ、私がさすがに抵抗したのでそこで20分くらい時間を使い、結局、練習に遅刻したのでした。その間に自転車が何台か通過したのだがお咎めなし。職務怠慢です。

警察関係の方、もし、これを読んだのなら、謝罪しこの男に厳しい処分を課すか、笑い飛ばすかして頂きたく思うこの頃ですが、もう退職しとるわな。

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