昭和39年の10月のことだったと思います。東海道新幹線は、つい先日、東京-新大阪間が開通しました。新幹線は「夢の超特急」と呼ばれ、特徴的な形が当時では「ちょーかっこいい」時代です。当時としては世界最高速、東京-新大阪間を210km/h、3時間10分で走りました。東京タワーは数年前に完成しましたが、新宿などの高層ビル群は計画さえなかった頃です。
交通手段のほとんどが列車とバスで、どちらも今より随分と混雑していました。だからプロ野球の球団は鉄道系のものが多く、「国鉄スワローズ」(現東京ヤクルトスワローズ)を筆頭に「阪急ブレーブス」(現オリックスバッファローズ)、「阪神タイガース」、「西鉄ライオンズ」(現埼玉西武ライオンズ)、南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)、近鉄バファローズ(現オリックスバッファローズ)など、金のかかるプロ野球の経営をするところもありました。もっとも国鉄は球団が持てないので、子会社が合同で球団を持っていることになっていましたが、そんなことは知らない人も多いほど鉄道事業は全盛期でした。
反面、車はあまり道路を走っていませんでした。だいたい、自動車を作っている会社自体が少なく、その値段は高くとても我々平民では買えませんでしたし、それ以前に免許証を持ってる人がずっと少なかったからです。鉄道の繁栄に比べれば、道路事情はひどいもので、一級国道でも未舗装の個所は多くそのため凸凹して雨が降るとあちこちに水たまりが出来ていましたし、山中や峠越えともなると今の林道並みのところも多い有り様。うちの近くを通る国道2号線も未舗装で舗装工事をしていたように思います。
さて、私たちは国道2号線まで来るとなぜかたくさんの人がいました。小一時間待つと火をかざした人が走り抜けていきました。当時は私は子供だったのであっという間に通り過ぎたように感じましたが、実際はそれほどのスピードではなかったのかも知れませんね。でも、その意味もろくに分からない子供たちはそのまま家に帰るのがもったいなくて、そこらで遊んでました。うちの父が「もう帰るぞ」と言って家に帰ることになりましたが、つまらない1日でした。一家全員で出かけたのがこの時だけだったので、私は覚えていましたが、その記憶は昭和39年の東京オリンピックとつまらない思い出のひとつとして、頭に残っています。しかし、何でも機会があれば見ておくもので、歴史の一部と言えば言いすぎかも知れませんが、それが記憶に残るのもいいものだと思うような年齢になりました。
さて、もうすぐ第2回東京オリンピックが開かれますが、聖火リレーが近くの道路を走るなら、今度はしっかりと見ておきたいものだと思っています。自分だけのオリンピックの思い出は何十年経っても記憶に残っていますよ。
(私の記憶違いがありましたら、笑って下さい)
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