姫路駅の南西に「手柄山」という丘があります。ここが姫路大博覧会のメーン会場で、現在は手柄山中央公園となっています。現在も残る西洋の城を模した建築物や回転レストランがありますが、これらは当時のパビリオンの名残です。何か訳の分からない廃墟のようなものもありますが、当時のパビリオンが廃墟化したものです。会場内にはロープウェイなども設置され、会場での移動の便宜を図っていました。
パビリオンの中心である姫路館は地場産業を中心に紹介し、その他のパビリオンは、IHI、関西電力、NHK、国鉄、日本航空、各自動車メーカーなどであり、中には人間魚雷回天を展示した慰霊パビリオンまでありました。今なら問題になるでしょうね。いかにも地方都市といった趣のある大博覧会でした。
姫路で大博覧会が開かれたのはこれが2回目で、昭和11年に「国防と資源大博覧会」が開かれています。当時の時代背景よりかなり軍事色の強かった博覧会でした。期間は、4/1~5/10で約43万人を動員したということで、これもかなり成功した部類に入るのでしょう。
さて、姫路大博覧会には山陽電車の「手柄駅」からでも歩いて行けましたが、多くの人は姫路から作られたモノレールに乗って会場へ行きました。モノレールの「手柄山駅」は変わった作りとなっており、徐々に高度を上げながら手柄山の中腹のトンネルに入り、トンネル内に駅があるというものでした。モノレールの地下駅はかなり珍しいのではないでしょうか。この「姫路モノレール」は延伸の予定もあったようなのですが、昭和49年に運行休止となり、昭和54年に廃止となりました。
以降地下駅は封鎖され廃墟となっていましたが、最近になって、再利用されたと聞いています。
姫路-手柄山の間はぽつぽつとモノレールの跡が撤去されずに残っていますから、廃線マニアの方にはちょうどいいかも知れませんね。
現在では各地にモノレールや新交通システムができており、モノレールと新交通システムのある都市は20か所を超えます。平成26年度、純損益で赤字は3路線、利益剰余金で赤字は6路線ですから、平均すれば採算は取れているようです。手柄山駅を終点とせず、広畑方面や網干方面に伸ばしていれば、現在も営業している可能性はあります。先見の明があり過ぎたと言えば聞こえはいいのですが、あまりに無計画だったような気もします。
何事も、先を見て計画的にやるのがいいですね。
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